事実、あなた方は、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるものではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、誰も誇ることがないためなのです。

―エフェソの信徒への手紙2:8.9―

 いつ頃からか良きも悪しきも自己責任、自分の行いによるものという風潮が流行りはじめ今ではすっかり日本の社会に馴染んでしまっています。確かに因果という視点から見れば自分の行いから結果が生じると考えるのは自然ですし、合理的とも言えるでしょう。

 しかし少し立ち止まって考えると自分は奇妙に感じるものです。というのも自ら望んで悪い方向に物事が進むように行動する人がどれくらいいるのか、いたとしてもそれほど多くないのでは?と。目先の事柄に目がくらんで、あるいは何か強制されてということならあり得ますが、どうにも私はどちらの場合も責められないし、そうするのは違う気がしてならないのです。目先のことに手を伸ばさなければ明日を迎えられないかもしれない、何か強制されていたなら責められるべきは強制した人であると考えてしまいます。

 また自らの手で掴んだとされるものについて、神様の助けなくして手に入れられるものかということも考えてしまいます。生まれた家、育った環境、両親から受け継いだ性質、人との出会いや助け、本人の努力以外でもぱっとこれだけの要素が思いつきます。

 そこで冒頭の聖句です。今の時代に明らかにかけている謙虚さ、神様の助けへの感謝というものを述べています。成功してしまうと自分の努力の成果と思ってしまいますが、少し立ち止まって思い出したい聖句です。 ー兼良筆ー

カテゴリー: 利用者投稿